脳内雑記 ~黄昏Web屋のデフラグ~

手書き出力と同時に、脳内の言語化活動への作用がどう変化するかの実験

制作として生きること

僕たちは生き残ることができるか

昨日は会社関係の人と今後のことについて、会話する機会があったのだが、ひとつだけ事実として明確なのはびっくりするぐらい人材難な状況ということだろうか。
まあ貧乏会社だし、教育計画なんてあってないが如しだし、昨日出した教育申請書類が無事回ったかどうかも不明だし笑 ぶっちゃけ危機的状況はのは間違いない
それはそうだんだけど、自分のところの会社でいいなあと思うことがある。なんというか情にもろいというか情緒的というか不器用というか。
まあ事業体としては褒められた体ではないんだけど、会社ってひとつのキャラクターだからそういう会社があってもいいんじゃないかなとおもっているのだが。生き残れるんだろうか笑 こんな会社でね。。。

制作会社という事業体

一応事業範囲的には、「制作会社」というドメインになるんだけど、ものを生み出して、そのものが関わって、いろんなところに関連性とか関係性とか与えていくことで、生きているわけですね。クリエイティブというほどじゃないし、マーケティング会社を語るには体制なさすぎるし、けどお願いされると、そういうことも頑張ってしまうというか、そういう側面が多い気がしている(背伸びして失敗することもおおいけどね)けど、インプットがあって、アウトプットがある。それが根本的なところにあるような気がしている。
インプットって「あれ作ってよ」「はいな」的な単純工程もあるだろうし、「いまこのプロジェクトで困ってるんだよね。。」「こういうので助けにならない?」「いいね作ってみるか」「はいな」という上流系もあるだろう。でも最終的には作ってなんぼだし、そうしていくのが基本であるべきだよね。

そして僕らは生きていく

さっき「生きていけるかな?」と自問自答したけど、生きている間は苦悶の顔をしつつも、粘り強く生きていくしかないわけで、生きられなくなったらただ単に解散するだけだ。
でも、死ぬまで、「頼まれる」「だから応える」をしていきたい。自分自身は限りなく不器用で人によってはコミュニケーション取りづらい輩かもしれませんが笑 引き続きよろしくおねがいします。