トライ、振り返り、思ったことと。
試しにきのうおもったことを思い出しながらいろいろ書いてみようと思う。
業務上のトライ
試しに他の人たちにお願いをすることで、いかに業務を円滑に回せるかという試みを行なっている。自分自身は手を動かしたい側ではあるが
そこはさいごのカードで持っておいて、あえて誰かにお願いする形だ。
そうすると、いろんな人のいろんな気持ちがさらに見えてくる。ポジネガいろいろあるし、業種的にもとはクリエイティブ的な部署なのでそのあたりの感情は結構出やすいのかもしれない。半分は受け止めつつ、半分は応えるイメージで。本当は全部応えたいのだけど、時間もリソースも有限。どう優先度をつけて落とし込んで行くか、チェックする勘所はどこか、ある意味そこが勝負なのかもしれない。
前回プロジェクトの振り返り
そう考えた時、前回のプロジェクトは車でいうと高回転エンジンを三ヶ月以上回しっぱなしというある意味無謀な取り組みをおこなっていたが、この歳で限界値ギリギリでいろいろ業務ができたことは有難い話しだと思う。そういう意味で常駐系は経験値の底上げにはもってこいだが、メンタルガソリンがいくつあっても足りないし相談も難しいところなので、もうしばらくは御免被りたいところではある笑
住む場所について
この歳で未だに一人暮らしで、家には帰ってご飯食べて、お風呂入って、寝るだけの場所で、それはそれでどうなんだという思いは、最近ちょっとある。今住んでいる場所は大好きなので動く気は全然ないのだが、近所でいいので住みやすい場所とかもそろそろ探してもよいかもしれないです。そういう観点で、いいツールがないか探してみようと思う。
憐れみの感情
案外人が言ったことって覚えているものだ。ほんの一ヶ月前は「いままでと状況は変わらない、大丈夫」と言っていた当人から「状況変わったので、もうだめだ」とあっさり言われてしまう。しかもとうの本人は無自覚というコンボ。ちょっと久々堪えたね。10年前なら「なんで?なんで?」と詰め寄ったのだろうが、この歳になると「ああ、かわいそうに。。。言ったことすらも覚えてなくて自分に都合の良いように考えてしまう悲しい人よ」というのが勝っていた。憐れみの感情。昔はそうじゃなかったのに。
考えて書く
そうじゃなく、前日に、しっかり考えて、「そこでなにを実現したいのか」を書きこむのです。「1:00〜プール」という予定だとしたら、そこに、「泳ぐ姿勢をきちんとチェックする(見てもらう)」というところまで考えて書くのです。「考えて書く」は、ほんとに考えないとできません。すでに考えてあることを、翌日実際にやるわけですから、「なにをすればいいか」をわかりながらやれるんです。(今日のダーリン2018.1.12)
個人でよく指摘される「思ったまま発言している」「考えてない」というのを思い出す。どうしても「考えをまとめる」から「コトバを発する」のが慣れていないんだよね。
こういう書く場とかもうまく活用できないものだろうか…
カンタンカンタビレ
まだ2トラック目までしか見れてないけど、楽曲構成とかの勉強になりそうだね