かきたいことをかきたいときに
最近noteでも文章を試し書きしているが、なんというか「きっちりかかないとかけない」感じがしている。それはちょっと問題だよなと。
空気を吸うようにいろいろアウトプットしないといけない気がしているんですよね。
アンテナショップ
自分調査用に
マッチする機器って?
音声入力の憧れと実態
こういうのを読むとすごく憧れるんだよね。いまようやくスマホでキーボードで打てている「わーい」という後ろからぴゅっと飛び越していく感じ。
おそらく文章をぶわーってしゃべって、そのあとに整形していくんだろうけど、きちんと体系的、論理的に話せていることが大きいのかもしれない。
これ家でやるとそうとう見ていて変なやつかもという見た目の心配と、自分自身は家に帰るとぷつっと切れちゃう、堕落する、お布団が恋しくなるので基本難しいんだろうなと思っている
おうちで自堕落でいいんです。
スマホ&キーボードの世界その後
いまiPhone7とlogicoolのキーボードでこの文章打っていますが、ようやくスマホの操作がベースにあって「文字だけはキーボード」という分担に体があってきた気がします。iPhone7になって画面も大きいので縦置きでも文章をいれるのにそこまで気にならない感じですね。なんか
自分でもすごくこの組み合わせはマッチしていて、スマホとキーボードあれば提案資料以外は仕事できそうな気がしちゃいます。
パワーポイント的な提案資料も例えばモジュール的な文章構造的なところと、見た目のデザインをちゃんと作れれば、提案のベースはこういう感じで入力しちゃえばできちゃうんだろうな。。。あとは図表とかぐらいか。。。
結局Windows10が遠ざけた
こうしたスマホに傾倒している理由って、「Windows10が重いんだよ」という一点につきます。別にインタフェースは問題じゃなくて、アップデートするたびに鈍重になるそのイライラには勝てなかった(というかなんでプロダクト作っている人たちはそこに気づかないんだろう。。。よくわかんないや)だから、いまこうしてスマホの小さい画面と戦っています笑
タスク整理では紙だった
逆にタスク管理とかスケジュールについて、いろいろスマホでできるかなとやってはみたのですが、自分のなかでは紙の方が定着力が高い感じ。判断基準は全部スピードですね。自分にはあっているようです。
よく記事で「◯◯との組み合わせで最強」とか出ていて、その記事に賛否出てきますが、思考回路とアウトプット手順は人それぞれなので、解決方法は別に一つじゃない気がしています。その人のにとって最速の手法であっても万人の手法じゃないというか。自分に合うか合わないかで、合う手法を自分で探して、突き詰めて、納得すればいいんじゃないかなとおもっています。
ウナギ稚魚の話とか
http://www.jfa.maff.go.jp/j/saibai/attach/pdf/unagi-43.pdf
今後に向けて悲観的な可能性が高いが、前年度以前にそもそも危険なことや、稚魚採取と出荷のアンバランスさ(要因はいろいろ調べる必要あるけど)ということが見て取れる。
問題提起じゃなくて…
ああ悔しい。悩ましい。どうして寝ているときに思いついた「これ書いておこう」というものが、起きたら消えちゃうんだろう笑
見たくないのに見えてしまう、いま
ここメディアは、乱暴な魔女狩りが続いているが、テレビから離れていてもネットに近いと強制的に見出しが溢れるし、見出し気になってぽちっと押しちゃう自分もいたりする。
その上で、ほぼ日の見出しも流れてきて
アメリカの陪審員制度にしても、映画などで見るだけだが裁くことの厳しさや慎重さが、しばしば描かれている。「あいつは悪いから懲らしめてやろう」などという無責任な攻撃は、成熟した大人ならしないものだ。
そうそう、うんうんと思っていた。懐かしいな裁判系の映画、ドミノだおしのようにひっくりかえるカルタシス。またみてみたいや。
かつての「東スポだろ?」みたいな共通理解がほしいよな。
ここまで読んではたと気付く。そうか、ゴシップ系の話についての敷居が前より媒体として下がってきちゃっているんだわ。別に東スポは買う気なんてまったくないんだけど、ネット界隈にいると、強制的に見出しをみる機会が増えちゃうんだということに気づいた。
情報収集先には見たくないものがが必ず混ざっている
最近、インプットも復活しつつ思ったのが、川の流れが強い場所(メディア)半分、自分で探しにいく半分にしないと自分としてはバランスが取れない感じがしていて、そうすると下世話な界隈も見に行っちゃうことになるんだよね。あと、自分もメディアを出す側でもあるから、その温度感は少しは肌感覚持っておかないとなあと思う自分もいるわけで。
おかしいことを解決する具体案を
なんだろう、よく大相撲の話でもそうだけど「これおかしいよな、みんな声を出そうぜ」という話も、じゃあ自分の会社とか当事者になったときに、声も出しづらく穏便に進めたいという感情もあるわけで。(立場維持したいとか、反対意見を出した結果に対するリターンとか)
そういう時の穏便にしつつ、解決できる手法とかをきっちり自分のスキルとして手に入れたいと考えている。きっと「これおかしいよね」と声をあげるのが解決策じゃないと思っている。問題提起ではなく解決手段が必要なんだと思いますわ。