脳内雑記 ~黄昏Web屋のデフラグ~

手書き出力と同時に、脳内の言語化活動への作用がどう変化するかの実験

問題提起じゃなくて…

ああ悔しい。悩ましい。どうして寝ているときに思いついた「これ書いておこう」というものが、起きたら消えちゃうんだろう笑

見たくないのに見えてしまう、いま

ここメディアは、乱暴魔女狩りが続いているが、テレビから離れていてもネットに近いと強制的に見出しが溢れるし、見出し気になってぽちっと押しちゃう自分もいたりする。
その上で、ほぼ日の見出しも流れてきて

アメリカの陪審員制度にしても、映画などで見るだけだが裁くことの厳しさや慎重さが、しばしば描かれている。「あいつは悪いから懲らしめてやろう」などという無責任な攻撃は、成熟した大人ならしないものだ。

そうそう、うんうんと思っていた。懐かしいな裁判系の映画、ドミノだおしのようにひっくりかえるカルタシス。またみてみたいや。

かつての「東スポだろ?」みたいな共通理解がほしいよな。

ここまで読んではたと気付く。そうか、ゴシップ系の話についての敷居が前より媒体として下がってきちゃっているんだわ。別に東スポは買う気なんてまったくないんだけど、ネット界隈にいると、強制的に見出しをみる機会が増えちゃうんだということに気づいた。

情報収集先には見たくないものがが必ず混ざっている

最近、インプットも復活しつつ思ったのが、川の流れが強い場所(メディア)半分、自分で探しにいく半分にしないと自分としてはバランスが取れない感じがしていて、そうすると下世話な界隈も見に行っちゃうことになるんだよね。あと、自分もメディアを出す側でもあるから、その温度感は少しは肌感覚持っておかないとなあと思う自分もいるわけで。

おかしいことを解決する具体案を

なんだろう、よく大相撲の話でもそうだけど「これおかしいよな、みんな声を出そうぜ」という話も、じゃあ自分の会社とか当事者になったときに、声も出しづらく穏便に進めたいという感情もあるわけで。(立場維持したいとか、反対意見を出した結果に対するリターンとか)
そういう時の穏便にしつつ、解決できる手法とかをきっちり自分のスキルとして手に入れたいと考えている。きっと「これおかしいよね」と声をあげるのが解決策じゃないと思っている。問題提起ではなく解決手段が必要なんだと思いますわ。