脳内雑記 ~黄昏Web屋のデフラグ~

手書き出力と同時に、脳内の言語化活動への作用がどう変化するかの実験

科学技術立国の終焉を場末で見る

20年ぐらい前までは科学技術立国という固有名詞で語られていたはずが、おそらく今は科学もなければ技術もない国に成り下がっているのは間違いない。

成長に至るパワーとその過程は苦労の割にリターンが少ないけど二世のボンボンが親の財を食いつぶすのに時間がかからないのと同じで、いま僕らは過去の資産を急速に食いつぶしている。

 

面白いのは食いつぶしている本人たちにはおそらく自覚がなくて、「まだ大丈夫、きっと大丈夫、多分大丈夫」とお経のように唱え、多分何が大丈夫かすらわからなくなってきているのだと思う。

最近、科学的根拠を語ると他方から理解できないがゆえの感情的な批判がぽろぽろと出ているように見える。

 

これは自分の記憶をたどると幼少のころからクラスで論理的なコメントをしたときに「意味のわからないことを言わないで」と非難された。それは同級生でもあり当時の先生のケースも散見された。

そこで他人が理解できないことを言うことを留意するきっかけになったのだが、論理的・科学的に証明されていても、説明が複雑になった途端に伝わらず、誤った判断をする機会を多く見てきたあの時代の違和感と感覚的には近い。

 

面白いのは、正しい行いをする人が必ずしも人の上に立つわけではなく、その時の時流が、上に立つ人を呼ぶというか論理ではなく感情でトップというものは決まっていくのは、もしかすると日本的な性なのかもしれない。

どちらにせよ、一回ここまで来ると、一度崖に落ちきらないといけなくなるわけで、それもちょっと悲しいよなと思いつつも、場末の人間からするとことの推移を見極めて逃げ切るだけで精一杯と思うので、常に注視していかなければならないと感じています。