雑談相手がいることの有用さ
noteの記事の悩ましいところは、毎日継続しているがゆえ、一定数の「いいね」がつくのは良いのだけど、つかないとつかないで「変なこと書いたのかな」とか、いろいろ考えてしまう。
けど、ここはあまり更新しないから「思ったまま、何も考えず書く」というのには向いてる気がしている笑 いや、なんの役にも立たないことを書くなよと言われても、そうなんだけど、在宅勤務になって「意味のない立ち話」ができないため、自分の思ったことを相手に当てて整理するということができなくなっているんだよね。
これは案外不便で、ヤン・ウェンリーに対してユリアン・ミンツがいたような、「適切な話し相手」というのは必要不可欠なんですよね。在宅勤務における「雑談相手の不在」というのは、案外ダメージがあったりするわけだ。