脳内雑記 ~黄昏Web屋のデフラグ~

手書き出力と同時に、脳内の言語化活動への作用がどう変化するかの実験

悪態しかつけない、芸というのは「いと悲し」

 

 ふと思うわけです。

例えばオンライン落語をするとどうなるのかとか。

 

  • zoomで一方的にした場合、お客様の反応がない中の話芸は苦しそうだ
  • 仮に観客も発言ができる場合、慣れると違う話芸で消化できるかも?
  • 落語に行く理由は集まって、笑って和やかな気持ちになる場だから
  • その場を新たに作ることで先鞭を切ることができるのではないか?

 

文化度の高まりと「型」の重視は、相関関係があって

その「型」のせいで、外的要因による変化に巻き込まれ

どん詰まりになっている気がする。

 

確かに、お年寄りがzoomを使うハードルは高かろう。

けど、選択肢がなくて、本当に好きならトライするような。

 

それを挑戦しないということは、実はファンではなく

その場はラクな暇つぶしで利用されていたのかと疑ってしまう。

 

確かに不条理なことは多いし文句の一つも言いたいのも理解できる。

別に文句も言ってもいいと思う。ストレス発散は重要。

 

けど、従来のやり方以外は、受け付けないというのは

芸としての停滞なのではないかと思ってしまう。

 

いつから芸事は、骨董品の保存会になったのだろう。

本来芸事こそ破壊的なイノベに満ちた業界であるべきと思うのだが。

 

ウィットに富んだコメントを

この業界で聞くことは最近ないように見えるのだが、

いい意味での反骨心が芽生えてくれると嬉しいのですが。