作り置き VS 一汁一菜
まわりに「作り置き族」が増えてきている。自分は全然できていないが、興味は非常にある。思いつく作り置きの弱点は「もう温かくない」部分かなと思うが、一汁一菜ならもしや?とも思った。
でもよくかんがえれると「作り置き」の最大の特長は「すぐ食べれる」であって、今の日々のばたばたを考えると「作成する」こと自体が高いハードルという人は案外多いのではないかと思ったりします。
デザインで問題解決とはいうけど、そもそも問題って?
この記事の中で、書かれているのは
Why?をBecauseで説明出来なければ、それは明らかにデザインではない
プログラム的に言うと、処理がデザインで、インプットによって適切に解決するアウトプットが出るということなんでしょうね。仮にインプットを「課題・問題」とすると、アプトプットは「解決した状態・状況」ということで。
もう少し引いて考えると、この「課題・問題」の定義が一番前工程なわけで、ここの設定を間違えると、すでに終わっているということなのかと。例えば思いつくままに書くと...
- 売上が足りない:今儲かること
- 事業継続ができるか不安:継続的に儲かること
- 事業設計が不安定:何が儲かるかを見極めること
とか出る。しかし、「一番の課題ってなんなのか?」と問われたときに適切に「これです!」と言える人が一体どれだけ言えるのだろう。この根本的な課題を経営層は常に議論しているのか非常に興味深く思います。
三多気の桜
職場のコミュニティをおかしくする要因は「不公平感」なんだと考える。
チーム内の違いや就業条件とか、会社間での格差とか単金とか、Aさんは休めるのに、Bさんは休めないとか、まあいろいろ。
理想論を言う人に限って、裏ではこの「不公平感」がねちっこくはびこるのは、いかにも日本的なのかもしれない。
個人としては、多少はあることって現実なのである程度受け入れているんだけど、理想論をかざして、本当は真実を知っているのにオブラートをかけて搾取する側の人間にはなりたいとはとても思えない。
春も近いのに寒いから、こう変なことを考えてしまうんでしょうね。こういうときこそいいものを見て目を肥やす必要があると思う。最近、気になる「三多気の桜」。一度いってみたいと思います。
人を犠牲にした効率性なんていらない
メールのよさって、ある意味一方通行で投げ逃げできることのような気がする。
ここでいう「みんなが集まって」というの「みんなが集合することに同意すること」で初めて成り立つわけで。
この類のTipsで一番個人的に腹立たしいのは「自分の効率性のために人を犠牲にするのであれば問題ない」という姿勢。そんなスタンスでプロジェクト回して回るんなら回すがいいさと思う。そういう効率性って自己満足でしかないと最近思います。