脳内雑記 ~黄昏Web屋のデフラグ~

手書き出力と同時に、脳内の言語化活動への作用がどう変化するかの実験

ウナギ稚魚の話とか

http://www.jfa.maff.go.jp/j/saibai/attach/pdf/unagi-43.pdf

今後に向けて悲観的な可能性が高いが、前年度以前にそもそも危険なことや、稚魚採取と出荷のアンバランスさ(要因はいろいろ調べる必要あるけど)ということが見て取れる。

ラニーニャ現象や黒潮の蛇行とかも含めて真面目に調べていくと面白い裏側とか見えてきそうですね

問題提起じゃなくて…

ああ悔しい。悩ましい。どうして寝ているときに思いついた「これ書いておこう」というものが、起きたら消えちゃうんだろう笑

見たくないのに見えてしまう、いま

ここメディアは、乱暴魔女狩りが続いているが、テレビから離れていてもネットに近いと強制的に見出しが溢れるし、見出し気になってぽちっと押しちゃう自分もいたりする。
その上で、ほぼ日の見出しも流れてきて

アメリカの陪審員制度にしても、映画などで見るだけだが裁くことの厳しさや慎重さが、しばしば描かれている。「あいつは悪いから懲らしめてやろう」などという無責任な攻撃は、成熟した大人ならしないものだ。

そうそう、うんうんと思っていた。懐かしいな裁判系の映画、ドミノだおしのようにひっくりかえるカルタシス。またみてみたいや。

かつての「東スポだろ?」みたいな共通理解がほしいよな。

ここまで読んではたと気付く。そうか、ゴシップ系の話についての敷居が前より媒体として下がってきちゃっているんだわ。別に東スポは買う気なんてまったくないんだけど、ネット界隈にいると、強制的に見出しをみる機会が増えちゃうんだということに気づいた。

情報収集先には見たくないものがが必ず混ざっている

最近、インプットも復活しつつ思ったのが、川の流れが強い場所(メディア)半分、自分で探しにいく半分にしないと自分としてはバランスが取れない感じがしていて、そうすると下世話な界隈も見に行っちゃうことになるんだよね。あと、自分もメディアを出す側でもあるから、その温度感は少しは肌感覚持っておかないとなあと思う自分もいるわけで。

おかしいことを解決する具体案を

なんだろう、よく大相撲の話でもそうだけど「これおかしいよな、みんな声を出そうぜ」という話も、じゃあ自分の会社とか当事者になったときに、声も出しづらく穏便に進めたいという感情もあるわけで。(立場維持したいとか、反対意見を出した結果に対するリターンとか)
そういう時の穏便にしつつ、解決できる手法とかをきっちり自分のスキルとして手に入れたいと考えている。きっと「これおかしいよね」と声をあげるのが解決策じゃないと思っている。問題提起ではなく解決手段が必要なんだと思いますわ。

新情報提供基盤 仮

終わる新聞たち

新聞の取材から記事にしていくプロセスは、全然詳しくないのだが、先日久し振りに実家に帰って某全国紙を読んだ時に、どの見出しも心に引っかかりがないことに、ちょっとした絶望感を持ってしまった。
自分自身がターゲットではないのと同時に、どのようにインプット情報を入手し、編集し、定着させているのだろうという興味を持ったりもした。
幼少のとき新聞を読むことで世の中ってこうなっているのか、って密かに感激していたし、そういうものを生み出す人たちを尊敬、リスペクトしていたんだよね。
自分が歳をとって、見方が捻じ曲がったのか、中の人たちのスキルが落ちたのか、恐らくは前者なのかもしれないけど、明らかに新聞の読み物は遠い世界、別の世界の代物になってしまった。
どうも部数も大幅に落ちているらしいけど、いろんな情報はネット経由になっちゃったんだろうね。

新しい情報提供基盤を構築するとか

単なる思いつきなんだけど、ダウンロードするネット情報とかって、そのタイミングでうまいぐあいに印税化とかできないものだろうか?少なくともいい悪い別にして情報を取得しているんだし、そのおこぼれを書いた人とかその関係者に分配することってできないものだろうか。。。
いろんな関係者が集まって、前向きな議論をすることで、そういう「価値ある情報を提供する人」が印税生活できるような社会基盤を作るとそういうところには住みたいと思うんだけどね。減る人口を食い止めるいいアイデアは、住みたくなる社会基盤の構築からとかね。
全然まとまりはないけど、このアイデアちょっと整理すると面白いことになりそうかもです。

すべてを鞄に

入れたいのだがなかなかね。取り敢えずまだiPhoneだけでいろいろしたい欲求は継続中。一応SDカードの収納ケースは買ったので、いままでの撮影データは常に身につけておけそうだ。そう考えると、SDカードリーダをiPhoneでやり取りと思ったのだが。

調べてみると要は転送のためのケーブルで外部領域として使えるわけではないみたい。それはあんまり意味がないような気がするなあ。

制作として生きること

僕たちは生き残ることができるか

昨日は会社関係の人と今後のことについて、会話する機会があったのだが、ひとつだけ事実として明確なのはびっくりするぐらい人材難な状況ということだろうか。
まあ貧乏会社だし、教育計画なんてあってないが如しだし、昨日出した教育申請書類が無事回ったかどうかも不明だし笑 ぶっちゃけ危機的状況はのは間違いない
それはそうだんだけど、自分のところの会社でいいなあと思うことがある。なんというか情にもろいというか情緒的というか不器用というか。
まあ事業体としては褒められた体ではないんだけど、会社ってひとつのキャラクターだからそういう会社があってもいいんじゃないかなとおもっているのだが。生き残れるんだろうか笑 こんな会社でね。。。

制作会社という事業体

一応事業範囲的には、「制作会社」というドメインになるんだけど、ものを生み出して、そのものが関わって、いろんなところに関連性とか関係性とか与えていくことで、生きているわけですね。クリエイティブというほどじゃないし、マーケティング会社を語るには体制なさすぎるし、けどお願いされると、そういうことも頑張ってしまうというか、そういう側面が多い気がしている(背伸びして失敗することもおおいけどね)けど、インプットがあって、アウトプットがある。それが根本的なところにあるような気がしている。
インプットって「あれ作ってよ」「はいな」的な単純工程もあるだろうし、「いまこのプロジェクトで困ってるんだよね。。」「こういうので助けにならない?」「いいね作ってみるか」「はいな」という上流系もあるだろう。でも最終的には作ってなんぼだし、そうしていくのが基本であるべきだよね。

そして僕らは生きていく

さっき「生きていけるかな?」と自問自答したけど、生きている間は苦悶の顔をしつつも、粘り強く生きていくしかないわけで、生きられなくなったらただ単に解散するだけだ。
でも、死ぬまで、「頼まれる」「だから応える」をしていきたい。自分自身は限りなく不器用で人によってはコミュニケーション取りづらい輩かもしれませんが笑 引き続きよろしくおねがいします。

トライ、振り返り、思ったことと。

試しにきのうおもったことを思い出しながらいろいろ書いてみようと思う。

業務上のトライ

試しに他の人たちにお願いをすることで、いかに業務を円滑に回せるかという試みを行なっている。自分自身は手を動かしたい側ではあるが
そこはさいごのカードで持っておいて、あえて誰かにお願いする形だ。
そうすると、いろんな人のいろんな気持ちがさらに見えてくる。ポジネガいろいろあるし、業種的にもとはクリエイティブ的な部署なのでそのあたりの感情は結構出やすいのかもしれない。半分は受け止めつつ、半分は応えるイメージで。本当は全部応えたいのだけど、時間もリソースも有限。どう優先度をつけて落とし込んで行くか、チェックする勘所はどこか、ある意味そこが勝負なのかもしれない。

前回プロジェクトの振り返り

そう考えた時、前回のプロジェクトは車でいうと高回転エンジンを三ヶ月以上回しっぱなしというある意味無謀な取り組みをおこなっていたが、この歳で限界値ギリギリでいろいろ業務ができたことは有難い話しだと思う。そういう意味で常駐系は経験値の底上げにはもってこいだが、メンタルガソリンがいくつあっても足りないし相談も難しいところなので、もうしばらくは御免被りたいところではある笑

住む場所について

この歳で未だに一人暮らしで、家には帰ってご飯食べて、お風呂入って、寝るだけの場所で、それはそれでどうなんだという思いは、最近ちょっとある。今住んでいる場所は大好きなので動く気は全然ないのだが、近所でいいので住みやすい場所とかもそろそろ探してもよいかもしれないです。そういう観点で、いいツールがないか探してみようと思う。